ゲームの楽しみ方について考え直してみる

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技術の進歩によりゲームの楽しみ方が減る?

情報が手軽に入手可能になった分、楽しみが減ったかも

「ゲームは何が起こるか分からないから面白い!」はずなんだけど、最近少し様子が変わってきているような気がします。

インターネットが普及しゲームの攻略情報も、すぐにネット上に掲載される時代になりました。私は新作ゲームはまず外部情報無しに、自力でクリアしたい「ピュアに楽しみたい派」です。ゲームの楽しみ方は人それぞれで、うちの子供たちはいきなり攻略情報を見たり、プレイ動画を見たりすることに抵抗がありません。「プレイする前にそんなん見たら楽しくないやろ」と、私はよく言っているのですが全く意に介さず。

そんなこんなで、ゲームもいろいろな楽しみ方があるんだなあと感じた一方、やはりストーリー重視のゲームの場合、ネタバレ後に遊ぶより先の展開を知らずに遊ぶ方が絶対楽しいはず。また頭脳ゲームであるカードゲーム(TCG)などは、自分自身で試行錯誤しながら勝てるデッキを考えたり、ネタを含んだ面白いデッキを研究したりするのが楽しみのはずです。しかし、最近では新しいカードが登場して、1週間程度は試行錯誤中といった感じで面白い対戦が出来ますが、しばらくするとネット上には強いデッキや戦い方が掲載され、対戦をしていてもネット上の攻略情報で強いとされるデッキばかりになり、対戦のバリエーションが無くなっていきます。こうなってくると、ネット情報は便利な反面、ゲームを遊ぶ楽しみを奪っているのではないか?とも思えます。

ゲームを最高に楽しむためには、ネット情報を断つしか無いのでしょうか?

将棋界のソフト使用問題と囲碁界のAI問題

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ここで、ちょっと最近話題の将棋・囲碁界について考えてみました。

先日一応の決着となった将棋対局中のソフト使用問題。将棋や囲碁も頭脳ゲームですから、対局中に外部から情報を得るとゲーム自体が成り立ちません。将棋や囲碁のプロはそれで生計を立てていますから、テレビゲームとは比べ物にならないほど深刻です(テレビゲームのプロも居ますが)。結局この将棋ソフト不正使用問題は、将棋界全体のイメージダウンという後味の悪い結果となりました。

一方、囲碁界では昨年(2016年)、AIソフト「アルファGO」がイ・セドル九段に勝利しました。さらに昨年末には「アルファGO」の進化版がネット囲碁に登場し、世界の強豪(トッププロ)相手に全勝しました。現在日本最強クラスの井山プロも敗れています。今後AIの囲碁や将棋ソフトは、テレビゲームの攻略情報的な位置付けになるはずです。対局中のソフト使用は制限されますが、対局外での使用にまで制限はかからないでしょうから、囲碁や将棋の勉強への活用が進むはずです。テレビゲーム同様、囲碁や将棋の楽しみ方も人それぞれでしょうが、プロは勝たねばなりませんからAIを活用せざるを得ないでしょう。しかし攻略情報(AI)に頼らず、自分の力で強くなりたいと考えているプロ棋士の方も、頼らざるを得ないという状況は、ゲームプレイヤーとして考えると、ちょっと可哀そうだなとも思います。

先日読んだ百田尚樹氏の著書「幻庵(げんなん)」は、江戸時代の囲碁名人を目指す碁打ちの物語で、この物語に登場する碁打ちのエピソードを読むと、最善の手を求め熱い対局を繰り広げる様子が伝わってきます。これからの囲碁や将棋界は、昔とは全く異なる状況になるのかな?と部外者ながらに感じました。昔のように対局の中から素晴らしい一手が生まれる、ということは無くなってしまうのでしょうか?「幻庵(げんなん)」非常に面白かったので、興味ある方はぜひ読んで欲しいです。

進化の止まらないAI、それを囲碁・将棋界はどう活用するのか?といった今後の動きが非常に気になります。

昔のゲームが面白いのではなく、その時代の環境が良かったのでは

「最近のゲームは映像はスゴイけど、昔のゲームの方が面白かったな。」といった意見をよく耳にしますが、私は昔のゲームが面白いのではなく、その当時の環境でゲームをプレイすることが楽しかったのではないかなと思います。私は今も昔もゲームの楽しさの根本は変わっていないと思います。

ゲームは完璧に出来ないから面白いのです。

何度やっても寸分の狂いもなく完璧にプレイ出来るなら、そのゲームをプレイする意味は無いはずです。私が攻略情報は見ない方が面白いと考えるのも、ゲームに対して「この先どうなるのか分からない」という楽しみを求めているからです。もし攻略情報の通りに辿るだけなら、その時間で本を読む方が遥かに有意義です。さきほどの囲碁・将棋のAI活用についても、囲碁・将棋がなぜ面白いのかというと、どの手が最善か分からないから面白いはずです。AIが各局面の最善手を示すぐらい進歩すれば、囲碁や将棋をプレイする意味は無くなってしまうはずです。

テレビゲームではプレイヤーを飽きさせない為の様々な「仕掛け」が用意されています。たとえば進入する度にランダム生成されるダンジョンや、プレイヤーの行動により変化するストーリー。キャラクターを自分の好きなように育てたり、またアクションゲームなら操作が難しくてなかなかうまくクリア出来ないといったものです。上手く出来ないことや、予想外なことに人間は惹かれる、だからゲームは面白い。

しかし、技術の進歩によりゲームを楽しませる仕掛けに制限が付いてしまいました。

技術の進歩で楽しめなくなってしまった仕掛け

技術の進歩により、インターネット上に攻略情報が出回ったことで、ゲームを楽しませるための「仕掛け」に制限が付きました。

ひとつは「ストーリー性」です。特に日本で発売されるRPGは「ストーリーを楽しみたい」という方も多いでしょう。しかし、最近はネット上の攻略情報やSNSなどの情報により、不本意ながらストーリーに関する情報を知ってしまうことも多くあります。そうなると結果の分かってしまった状態で、録画したサッカーの試合を見るような状態になってしまいます。

もうひとつは「想像力」でしょうか。例えばゲームを進めるための謎を解くことや、マインクラフトでオブジェクトを工夫して独自の仕掛けや建物を作ったり、カードゲームで独創的なデッキを作ることなどです。こちらも攻略情報などネット上に情報がすぐに出てしまい、自分で考えて解いたり作ったりする楽しみが減ってしまっています。将棋や囲碁も「想像力」を最大限働かせて楽しむゲームと考えると、AIが答えを教えてくれるという状態では、楽しみも激減してしまいます。

上記のような「仕掛け」がメインのゲームを最大限楽しむには、ネットからの情報を極力遮断するしかありません。またゲームメーカーもプレイ動画などがネット上に出回らないよう監視する必要があります。

逆に技術が進歩しても変わらず楽しめる仕掛け

ネット全盛時代で攻略情報がお手軽に手に入る状況下でも、有効なゲームを楽しませる「仕掛け」のひとつは「プレイヤースキル」でしょう。プレイヤースキルは練習からしか得られません。ゲーム攻略サイトである程度はコツなどを掴めるかもしれませんが、最終的には練習して身に付ける必要があります。そう考えると、最近のRPGの戦闘シーンにアクション要素が含まれるのは、自然な流れなのかなと感じます。また、デモンズソウルのように難易度が異常に高いゲームもチャレンジ精神を煽ります。

しかし、高いプレイヤースキルを求めるようなゲーム一辺倒になると、操作が苦手なプレイヤーはゲームを楽しめなくなります。

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そこで、プレイヤースキルが高くなくとも楽しめる仕掛けとしては「運」があります。スマホゲームのガチャや、対戦型カードゲームのドローなどが代表例でしょうか。最近のユーザーは「ネットの攻略情報を見る」ということを前提に考えると、「運」というのはゲームを楽しませる仕掛けとして最もお手軽な方法でしょう。実際やってみないと何が起こるのか分からないのですから。しかし、「運」に頼りすぎると「結局は運だけじゃないか」となり、ユーザーはすぐに飽きます。そのため、運要素+アルファの仕掛けを備える必要があります。パスドラでしたらパズルにアクション性を持たせています。麻雀やポーカーは将棋や囲碁とは違い、プレイヤースキル+運のゲームです。

私は技術の進歩により、ゲームを楽しめる仕掛けとして有効なのは「プレイヤースキル」と「運」の二つだけになってしまったのではないかと考えます。昔はストーリーを楽しみながら、プレイヤーキャラクターを成長させたり、ゲームを進めるための謎解きをしたり、といったこともゲームを楽しませる「仕掛け」として有効でしたが、現在はそれらを楽しむためには、ネットの情報を遮断するなど気を付けなければなりません。今後のゲームの発展には、ネット全盛時代でもゲームをもっと楽しめる、新たな「仕掛け」が必要かもしれません。VRや先日予約開始したニンテンドースイッチなどの新しいハードウェアは、ゲームを楽しませる新たな「仕掛け」作ることが出来るのでしょうか?

ネットの普及や技術の進歩はありがたいものの、ゲームを楽しむという行為に対して、すべてが有効ではありません。万人がもっともっと楽しめるような、新しいゲーム環境が生まれることで、ゲームが次のステージへ進化していって欲しいです。

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